~Wild Cherry Boys♀の歴史~

セイヤとヤスは、社会福祉系専門学校の同級生。

当時、ギターを初めて3ヶ月のSEIYAをヤスが連れ出し、熊本市下通りのアーケードでギターの弾き語りをしていた。専ら、その頃に歌っていた曲といえば、尾崎豊や浜田省吾だった。


卒業後、音楽活動を続けたかったセイヤとヤスは、再度、オリジナル曲を中心とした4人編成のバンド(VoSEIYAGt:ナオキ、Ba:モリヨシDr:ヤス)を結成。

バンド名は「マグネッツ」という。(後に「ばんどえいど」に改名)

幾多のメンバーチェンジを繰り返しながら、なんとかライブも行っていたが、メンバーの失踪・他界や脱退などが相次ぎ、やむを得ず解散してしまう。

 

その後、セイヤは「NOSAN ALL STARS」のVoGtで、ヤスは「サディスティック・リカ・バンド」のBaとして活動していた。

ある日、セイヤは性に対する考え方の違いで「NOSAN オールスターズ」を脱退。音楽から遠ざかることになる。

 

密かに業界復帰を目論んでいたセイヤとバンドをしたかったヤスは、バンドの再結成を決意。「ワイルド・チェリー・ボーイズ」を結成、「レッドウォーリアーズ」のカバーバンドとして始動する。

初期メンバーは、VoSEIYAGt:コウイチ、Ba:ヤス、Dr:ヨシキである。


ドラムのヨシキは、ヤスの幼馴染である恵太からの紹介で、サポートにて加入。ライブ活動を行うものの、ある時、バンドに対する考え方でトラブルが発生し、コウイチは脱退。また、ヨシキは多数のバンドを掛け持ちしており、更に他県在住ということで、なかなか4人揃って練習ができる状況ではなかったため、正規のドラマーを探す必要があった。


またもやバンドの解散か…と思ったある日、ヤスの職場に求人誌の営業マンがやって来た。長崎出身のzakiiである。ヤスが商談の途中に自分の趣味の話をしたところ、zakiiもバンドをやっており、BaGtで数々のステージを経験してきたことを知らされる。ヤスの熱心な誘いで加入させることに成功した。更に、思いがけない事実が隠されていた。ヤスが活動していた「サディスティック・リカ・バンド」のキーボードをサポートしていたつっちー♀も、zakiiの会社に在籍していたのだ。


つっちー♀は、クラシック界でも活躍するホルン奏者。キーボード演奏のレベルも高く、グラマラスとくれば、バンドのメンバーとして必要不可欠だ。

zakiiとヤスの熱い声掛けに、つっちー♀も加入を決意。バンドも再スタートできる状況となった。

ところが、それまでヨシキのサポートでなんとかライブができていた活動であったが、仕事やバンド活動が以前にも増し多忙となったことにより、ヨシキのサポートが困難となった。

各メンバーがドラム獲得のため、インターネットや知り合いなどを通じてあたっていたが、なかなか思うような結果が得られず、時間だけが過ぎていった。

 

ドラムが決まらない状況が続き、諦めかけていた頃、大阪から里帰りしていた恵太にヤスが「ドラムを紹介してくれ!」と懇願。そこで恵太が高校時代にバンドを組んでいたyoppyを紹介してもらう。yoppyも快く引き受ける。こうして「WILD CHERRY BOYS ♀」がスタートすることになった。